2016年6月13日月曜日

2016.06.10 栃木秘境探検ツァー 八溝山山頂①

● 昨年の夏に,私家版ツール・ド・栃木を始めて途中で頓挫している。今年の夏に続きをやろうと思っている。
 ところで,その私家版ツール・ド・栃木が終わったら,私家版栃木秘境探検ツァーを催行しようと思う。その初っ端は,八溝山の山頂まで走ってみること。

● ひょんな事情からこの日の6時半に,氏家から八溝山に向けて出発することになった。293号を馬頭まで走り,461号で大山田を抜けて雲巌寺に至る。
 雲巌寺からは県道南方須佐木線の終点まで。そこからは県道那須大子線を経て林道に入る。

氏家のコンビニで朝食のパンを買って,出発
● 馬頭までいくつかのアップダウンがある。というか,平地はあまりない。
 氏家から喜連川に出るには弥五郎坂を登る。勾配が緩いのでトップギアで登れるくらい。
 喜連川を出るには鍬柄坂。これはけっこうな勾配があって,ぼくは一番軽いギアを使って登った。

● 鍬柄坂を登って降ると,そこは那須烏山市(旧南那須町)の上川井の集落になる。が,ここでも降ったと思ったらすぐに登りが始まる。峠越えというより丘陵地帯を越えていく感じ。勾配はさほどではないけれども,距離がある。
 つい最近までこの辺の中学生は自転車でこの道を通学していたはずだ。毎日ね。つい最近までというのは,今ではその中学校は統合されて,スクールバス通学に変わっているからだ。

● 降ると志鳥集落。
 すぐまた登り。路肩が狭い(あるいは,路肩がない)区間もある。少々走りづらい。293号線はところどころで短い区間バイパスが施工されている。そういうときは旧道を走ったほうが自転車は楽だよね(交通量が少ないから)。
 那珂川町(旧小川町)に入る。ここからの降りはけっこう長い。旧小川町と旧馬頭町の間に那珂川が流れているからで,その那珂川までは緩やかな降りが続く。
 つまり,小川は平坦なところで,その分,農地が広く取れる。豊かな農村地帯だったのだろう。

● 旧馬頭町は美しい郷だ。その美しさは主に山並みが作っている。その山並みからの抜けがちょうどいいというか,スコンと開放された景観がときに現れる。
 こういう気楽なことを言っていられるのは,ぼくが通行人だからだろう。実際に住んでみれば,色々と文句が出るのは,どこでも同じだ。少なくともここは車がないとどうにもならない。
 でも,都会から越してくる人がけっこういるのだと聞いたことがある。

● 田舎の時間はゆっくり流れているという見方にぼくは与しない。なぜかといえば,自分が田舎育ちで,そういうものではないと体感しているからだ。
 田舎人が都会に馴染むのは簡単だけれども,その逆は容易ではないはずだ。都会暮らしに疲れた人が田舎で癒やされたいというのは,叶うことのない幻想,ありていにいえば勘違い,にすぎない。

● オーストラリアのような土地がいくらでもあるところでも,人はシドニーやメルボルンのような都市を作ってそこに住む。北海道もそうだ。札幌に人が集まる。
 なぜかといえば,都市に住むほうが楽だからだ。そうでなければ,この現象は説明できない。都市から田舎に越してきた人たちの多くは,こんなはずじゃなかったと臍をかんでいるのではあるまいか。

● しかし,だ。そうじゃない人たちがいるのも確かだ。世の中には都市より田舎が合う人がいる。田舎を好み,かつ田舎が合うという人。
 映画や劇場や音楽ホールや歓楽街といった都市的レジャーではなく,縁側での雑談,土いじり,農作業を楽しめる人。ぼくは不思議な人を見るような目で彼らを見る。
 自分はなぜそうなれなかったのかとも思う。自分の親は間違いなくそのタイプの人だから。ぼくの親の世代は,好むと好まざるとにかかわらず,そうならざるを得なかったんだろうけれども。

健武-道路沿いにあった碑
● 馬頭市街を抜けると健武という集落を通過する。このあたり,大昔は金が採れた。
 金のことを大和言葉で“ゆりがね”というらしい。馬頭には「ゆりがねの湯」(日帰り温泉)とか「ゆりがねのやな」(飲食施設)など,“ゆりがね”を冠した施設があるんだけど,それにはそうした事情があってのこと。

御前岩
● さて,健武を過ぎると左にハンドルを切る。以前は県道上南方大山田線といった道路だ。とてもわかりやすい路線名だった。のだが,今は国道461号になっている(須佐木から先は,県道南方須佐木線)。
 ここから先は武茂川の上流端を目指す行路にもなる。武茂川のせせらぎを聞きながら走ることになりそうだ。

● この道路をしばらく走ると,御前岩なるものが登場する。過去,二度ほど来ている。
 その正体はといえば,武茂川が切り取った岩崖にある女性器の形をした岩。性器信仰は世界のあちこちにあると思うけど,これもそのひとつと割りきっちゃっていいんでしょうね。子孫繁栄,健康長寿の祈りを込めているわけだろう。
 以前は,案内板に月に一度は赤い水が流れた云々という文章があったと記憶している。それがなくなっていた。さすがにそこまで書くのは悪ふざけがすぎると思って削除したのかと推測したんだけど, Wikipediaには「かつては御前岩の中程の穴から霊水がしたたり落ち,月に一度月経のように変化して赤く濁ったといわれている。しかし,同町大内地区のサイマラ淵に御前岩と対となる男根の形をした「オンマラ様」と呼ばれる石があったが,明治時代末期にこの石が崩れて淵に沈んでしまって以降は,御前岩の霊水に変化は見られなくなってしまったそうである」とある。

● この御前岩で1回目の休憩。次は,雲巌寺で見物がてら休むことにしよう。
 大山田下郷,上郷を縦断。大山田は農業と林業の郷。平地は少ないから,田んぼの区画も小さい。機械化といってもなかなか難しいのかもしれないな。
 畑に出て作業をしている人がいる。茸を栽培する工場があった。静かな郷だ。平日の金曜日の午前中。

雲巌寺
● 旧黒羽町の須佐木に入る。この地にある神社は洲崎神社と申しあげる。どういう漢字を充てるかは,つまるところたいした問題ではないんだね。どう発音するか,その音が重要なのだろう。その地の由来を考えるときには。
 須佐木に入るとすぐに461号から逸れることになる。県道南方須佐木線になる。けれども,道路の名称はお役所があとから付けたもので,政策的な理由も加味されることがあるようだ。

雲巌寺
● 雲巌寺に着く。この日のこの時間帯,観光客はひとりもいなかった。独り占めできる。
 とはいえ,この雲巌寺は臨済宗妙心寺派の古刹にして,禅宗の四大道場のひとつとされる。そういうところを,ぼくのような下賤かつ無縁の者があまりウロウロしてはいけないように思う。
 っていうか,ウロウロすることが躊躇われる。凛としたたたずまいがぼくを寄せつけない。
 山門をくぐってすぐのところにある仏殿の付近を少し歩いただけ。その奥にある方丈本殿や禅堂にまで近づくことは憚られた。

● そっと退出して,近くの店にあった自販機でコーラを買って飲む。
 出がけにコンビニでウーロン茶とコロッケパンを買って腹ごしらえをし,御前岩の休憩でもうひとつ甘いパンを食べた。
 食べるほうはそれで大丈夫だと思うけれども,水分はもっと摂ったほうがいいかもしれない。
 コーラだけじゃなくて何本か水を買って持っていこうかと思いもしたんだけど,自販機はこの先にもあるだろうから,わざわざ荷物を増やすこともあるまいと思い直した。

● 再び,南方須佐木線を走りだす。この先は八溝山頂まで休憩なしで辿りつきたいと思っている。
 私家版ツール・ド・栃木を始めたのは昨年8月。それと比べると,体力の消耗がかなり違うように思える。今日はたぶん猛暑日になるのかもしれないけれども,そうであっても8月とは暑さの濃さが違う。
 本格的な夏が来る前の今の時期は,最も日が長い時期でもある。自転車にはほんと,最高の時期だ。